ゆるふわ写真とは何か?

先日の8日ほぼ3,4年ぶりにきょん♪さんこと川野恭子さんとセミナーをご一緒しました。ちょうど一か月前もおなじく久しぶりにむらいさちさんともご一緒しました。

つつがなく言いますと川野さんやむらいさんの代名詞である「ゆるふわ」あるいは「ゆるかわ」というテイストのお写真というのは写真業界全体からはどちらかというと異端扱いなのではないでしょうか?簡単に言うとハイキーでいながら色を粘らす撮影方法なのですがこれまでの写真業界の主流派のセオリーにはない撮影方法です。皆さんも街の写真店でゆるふわな画像をプリントしてみるとわかります。見事にあの柔らかいテイストが再現されません。街の写真店に入っている大型のレーザー露光プリンターには初期設定として「自動補正」という機能がオンになっています。つまり適性外の表現は適正内に補正されます。ゆるふわの表現方法は「適性外」なわけです。なんの適性外かというと一般的な写真表現に対してということになります。

そうなんです、ゆるふわとは写真業界の主流派の写真や写真店の適正からというと常識外なんです。

私は5年前に初めて川野さんとお付き合いをする前に、担当者から川野さんの著作を頂きました。【はじめての「ゆるかわ写真」レッスン】という本でしっかりと読みこんでから打ち合わせに出向きました。同時期にむらいさんとも打ち合わせで初めてお会いしました。

あれから5年、写真業界もだいぶ変わった感がありますが当時私は少なからずお二人に衝撃を受けました。特にきょんさんに衝撃を受けましたね。というのは写真家というのは写真学校を出て、どなたか指針となるような写真家の弟子になるとか、スタジオに入るとかの下積みののち独立してという黄金ルールが歴然とあると思っていたからです。どれも経験していない写真家が出始めたのもこのころだったような。旧態依然とした業界としては絶好の標的にもなっていたと思いますが、同時に時代はミラーレスが勃興し、スマートフォンが登場し少しでも遠くを見る事が出来る人間は業界ではなく、写真そのものが変革する胎動を見据えていたと思います。

私も世の中変わるなと思っていたので担当していたセミナーで「LOVE PHOTO」と題した女性限定のセミナーをきょんさんやむらいさんにお願いし続けました。また山本まりこさんにもお声をかけて3人で福岡札幌でセミナーをして頂きました。

さて元来カメラそのものが高価であったこと、現像が化学に近かったことなどからデジタルカメラになるまではほぼカメラや写真というのは男性の趣味でした。家庭で購入できるまで値段が下がってもそれは主にお父さんが撮る家族写真をお母さんがアルバムにまとめるいわゆる「記録」がメインでした。まず写真を撮る主体に女性がいなかったわけです。

ここに楔が撃ち込まれたのは2000年の木村伊兵衛写真賞でした。極端に男性に偏っていた業界に女性がしかも3人同時に受賞しました。本来であれば1989年や1995年の社会の変革を鑑みれば90年代中にあってもおかしくはなかったところがやはり男性中心の業界なのでしょうね。しかし沈殿から充満に変化し突出した00年、長島有里枝さん、蜷川実花さん、HIROMIXさんを写真業界は承認したわけです。

ですがここにはちょっとしたレトリックがあります。つまりお三人とも学生時代から写真教育を受けたり、また最前線に触れていたわけです。つまり男性社会の中で突出した三人でした。なにも悪いといっているわけでなくて、世の中はゆっくり変わるといっているつもりです。女性が突出したといっても男性社会の中で認められる女性が出てきたということなのでしょう。

そして翌年の2001年には川内倫子さん、2002年にはオノデラユキさん、2003年には澤田知子さんと女性写真家の受賞が続くことによりこの流れは決定的となり2006年の梅佳代さんに至ります。けれどこの流れは当たり前ですが生活者の写真の変貌には無縁に近かったでしょう。やはり写真が好きな、アート志向の女性に様々な可能性は提示できたでしょうが、その外側の層にまでは届きませんでした。

ここで大事件が起きます。2008年パナソニックがミラーレス一眼を発売し、同年オリンパスも追随します。1年明けた2010年、ソニーもNEXを投入。その後ほぼすべてのメーカーからミラーレスは発売されついに一眼レフの販売数を抜かすに至りました。

センサーサイズを担保しつつ、ミラーボックスがないことによる軽量化、レンズの軽量化などシステムの機動力は一眼レフの大型化に終止符を打つにふさわしいパラダイムシフトでした。
まずここに飛びついたのは写真家でもなく、女性写真家でもなく女性ユーザーでした。2008年当時にオリンパスで講師をしていた写真家と話をしてとても合点がいったことがあります。ここに秘密があるのだと。


Q:(私) ミラーレス一眼に飛びついた女性が実際に何を撮ったか?

 

 

A:(写真家) 玄関に脱いだ自分の靴!


 

私はこの話を聞いて腰が抜けるほどびっくりしました。なんという視点の近さだろうか、世界の近さそのものが新鮮でした。

私はいつでも思うのですが、写真とはどう世界を見ているかと同じことだということです。そして他の方が見ている世界と写真を通して会話することの楽しさ、それは時間と空間を超えるわけです。ミラーレス一眼という軽量でありながら性能が担保されているカメラの登場は写真家のためではなく、女性写真家でもなく、写真に興味がありアート志向の女性でもなく、その外側の層を直撃したのではないでしょうか?少しだけ写真に興味があり、少しだけアートが好きな女性層ということです。私はその外側の層をミラーレス一眼が取り込んだからこそ「ゆるふわ」や「ゆるかわ」と規定されるジャンルが確立したのだ思います。

今までの写真家はプロになるしか生活の選択肢はない前提でした。プロとは作品を作っている方でもとんでもない技量がある方でもありません。プロとはクライアントの要求通りの写真を納入できる方です。
ミラーレス一眼が直撃した層はクライアントの要求を満たす技量は求めていません。少しだけ写真に興味があり、少しだけアートが好きな女性層が求めているのはより素敵な「玄関に脱いだ自分の靴!」なのです。自分の生活圏をいかに素敵に見るのか?その答えとフィットしたのが「ゆるふわ」や「ゆるかわ」なのではないでしょうか。さらにきょん♪さんの主婦から写真を始め、家庭円満で、著作も出し、男性社会で野心むき出しなどではない、いうなれば女性が野心なく持ちたいものをすべて持っているという女性から見た憧れなんですね。その方とダイレクトにつながることの代替えが「ゆるふわ」や「ゆるかわ」なテイストの写真を楽しむことだと思うんです。

そう今テイストという言葉を使いましたが、まさに「ゆるふわ」や「ゆるかわ」とは技術ではなく「テイスト」なんです。滝や川の流れを白く写す事でも星の流れを線化する技術ではないんです。「世界をどう見ているのか」というテイストなんです。写真は技術で撮る、なんて勘違いをしている方にとってみれば、ここが理解できない所なんでしょう。しかし「テイスト」を撮るのにそれ用の技術がいるだけであり、しかもそれはたいした技術ではない。もっと言うとたいした技術であってはいけないんです。なぜなら少しだけ写真に興味があり、少しだけアートが好きな女性層にとって技術の習得は大前提ではありません。自分にとって素敵な、イメージ通りな、うきうきする写真が日常で撮れることが何よりも大切なんです。

そしてこの層にとってさらに大切なことがあります。それは写真を通して直接友達が出来る事です。私はきょんさんやむらいさんと会った時よりも一緒にセミナーを通して、来ていただいた皆様やそのお写真を通して実感しました。「ああ~~世の中変わるんだな~」って。

 

ゆるふわ写真とは何か?

ゆるふわ写真とはきょんさんやむらいさんのお写真ではありません。ゆるふわ写真とはミラーレス一眼によって広がった少しだけ写真に興味があり、少しだけアートが好きな女性層の「テイスト」、世界をどう見ているのか、どう見たいのかのイメージの総称です。それはとても柔らかく、とても日常で、とてもやさしい世界です。今までの写真業界のイロハからはみ出した潮流です。とても大事な流れです、大切にしていきたいものです。

このテイストは今後も写真業界での潮流になるでしょう。それはきょん♪さんやむらいさん、まりこさんにとどまらず、札幌の渡邉真弓さん、大阪のやまぐち千予さん、福岡乙女カメラ部に受け継がれていることと思います。

男性、女性にとどまらず思いある方々がご自身の撮りたい世界、世界をどう見ているかの証左としてカメラと写真を楽しんで頂けていることを願っています。

最後になりますが、最初に飛びついた方々はじっくりと時間をかけて今ではプリントはおろか皆さんグループ展などにのりだしています。もうすっかり風景写真のグループと同じことをしているわけですね。そしてそのトップランナーは個展に挑んでいます。

市ノ川倫子写真展「utopia」

是非歴史が動く鼓動を感じてください。

 

2月のX Photo Laboratory

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