近代写真の父 ウジェーヌ・アジェ展
先週末まで東京都写真美術館で行われていたウジェーヌ・アジェ展。同時にユージン・スミス展も行われていましたが時間の関係でどうしても見たかったアジェ展に絞りました。
同時代人としてマン・レイやベレニス・アボット、影響がみられる日本人として荒木経惟さんや森山大道さんのお写真も展示されていました。
私にとってのアジェは、「日食の間」、これです。
「オルガン・グラインダー」も有名ですね。
さてアジェの代名詞は「近代写真の父」です。「写真の父」ではなく「近代写真の父」なんですね。ここ重要!写真そのものの父ならもっと黎明期、そして写真そのものを発明なり発見した方なんでしょう。ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールさんとかがそうなんでしょうね~
「近代写真の父」なる代名詞というのは後世の写真業界の方が名付けたのですから本人はそんなことすら思わずに写真を撮っていたのでしょう。つまりアジェが何を、どう撮ったのか、アジェから見たら世界はどう見えたのか、それがその後の写真史のエポックメイキングに寄与したからこその「近代写真の父」なのでしょう。
アジェは41歳の1898年から写真を撮り始めました。生涯のカット数は8000枚だそうです。アジェの写真を一枚一枚見ながら、15,6歳の女子高生が一年で撮る画像は約4000枚で、あと70年撮ったら生涯のカット数は280,000枚、アジェとは35倍差かぁ~等と具にもならないことを思っていました。
そんな写真を取り巻く現在からアジェを見た時にその透徹としたアジェのパリという1900年前後の現在という眼差しが、写真が絵画から飛翔した=モダニズムの萌芽足りうるわけで、それをもって「近代写真の父」と後世の写真業界の方が言うのだろうなぁとも思います。
アジェの写真は「都市の風景写真」だという方がいます。そうでしょうね、そもそもアジェはパリ市からの発注でパリを撮っているのですからそうなりますよね。そこに「ニューカラー」への萌芽も垣間見られるとは思います。
ただ私が一番心奪われたのはパリの街の風俗の切り取りかたですね。これは素敵ですね。ここに写っている方で存命の方は一人もいないかと思いますが確かにそこには笑いがあり、涙があり、愛があり、悲しみがこの写真の中の現在進行形としてあるのがよくわかります。
これこそが写真でなければできないことの一つでしょうね。人のいないパリも素敵ですが人そのものがやはり素敵です。
まさに一世紀のタイムトラベルは、人や街という生き物が常に生きているのだという芸術表現が担う宿命を堪能させてくれるものでした。
ニエプスやダゲールから始まった写真にとって、記録するという黎明期から表現するという転換期のための父親がアジェなんだなぁ~と思った次第。
タイムトラベルから抜け出して恵比寿の街に出ると残雪がまばゆいばかりでした。